沖縄 慰霊の日② | 日々のくらし

沖縄 慰霊の日②

もうひとつ、新聞の読者欄に投書した記事があるので、これも紹介したいと思う。

サイパンで平和を願う

 今年こそは、と思いながら、毎回の墓参団参加を苦しい思いで見送ってきた。七十歳になり、年寄りのために神様がご慈悲を下さったとでも申しましょうか、四十一年ぶりにやっと墓参りがかなえられました。会長さんのご苦労もあり、直行便で二時間半、天気にも恵まれたよい旅でした。
 サイパン島へ着くと、すぐバスで慰霊塔へ向かいました。途中築港を通りましたが、私たちの住んでいた部落はほとんど密林に変わり、当時の面影はありませんでした。いよいよ慰霊塔に着き、バスを降りると、やはり体がふるえ、胸にこみ上げてくるものがありました。階段を上り高い塔を見上げると神々しくて涙がポタリポタリ。思わず合掌し、
「義博ちゃん来ましたよ、お母さん遅くなってごめんね」と絶句。
 わが子をおぶってともに亡くなられたお二方様どうぞ安らかに成仏なさいませ
 とただただ祈るばかり。弾で倒れた時、「水!水!」としぼりだすような声に、最後の一滴でもと思い、民家の壊れたタンクの水が流れ出し、こえ溜の水と一緒になっているのを、やむなく飲ませて最後の水とした。そのことが思い出されて、翌日再び慰霊塔にむかった。今度はホテルのおいしい水とお菓子を供えて気の済むまでいろいろ語りかけました。もしあの世で自由にあえることが出来ましたら、一緒に亡くなられたお二方様どうか身内同様、仲良くしてくださ。
 私たちは今、沖縄で平和を願って老いも若きもともに頑張っています。犠牲になられた皆々様に応えるために、これからも子や孫に語り続けていくことを心に誓い慰霊塔をあとにしました。


以上がウチのオバーの戦争体験のお話です。
オバーは現在90歳。元気ではありますが、記憶の方はもう曖昧になってきています。
戦争体験者が減っていくなか、最近の世の中の戦争に対する考え方には少し疑問を感じます。
住民が体験した戦争を語りついで行かないといけないと最近おもいます。
テレビやニュースでみる戦争は、国や権力、思想、人種、宗教といった政治的側面の戦争です。
それは外からニュースとしてみる戦争の枠を超えることは出来ません。
大切なのは、一人の人間として体験した戦争がどのようなものだったかを知ることです。
国の威信や宗教上の対立など、形のないものに巻き込まれた人々がどんなにつらい思いをしたのか。

ほんとうにばかばかしいことです。

読んでくれた皆さん。出来ればコメント下さい。
今日は少し前に、沖縄でおこったことについて考えて見ましょう。