沖縄 慰霊の日① | 日々のくらし

沖縄 慰霊の日①

今日は慰霊の日です。
沖縄戦の組織的戦闘が終わった日。
日本とアメリカが戦争を起こして、沖縄で住民を巻き込み地上戦が行なわれました。
60年前の話。

今日はウチのオバーの話を書きます。
オバーはサイパンで戦争を体験しました。その記憶を記した手記があるので
そこから、オバーの戦争体験を話します。
これは私達、知念家が皆さんに伝えるべき記憶です。

以下原文まま

私はサイパン島で終戦を迎えた。主人は設部隊勤務で、空襲警報が出ると家族を残して部隊へ集合させられた。七月の大空襲に、私は二歳半になる男の子と生後六ヶ月の女の子を連れ、部隊の人たちについてコーヒー山へ逃げました。壕はなくただ木の茂みの場所を選んで逃げ回りました。
 七月の四、五日ごろには激しい艦砲射撃が始まり、壕がなくてはだめだと思い、他の家族と合同で岩のくぼみの前にバナナの木を切り倒して二重に並べ、その中に身をひそめていました。
 しかし、さく裂する艦砲の破片は、バナナの破片を突き破って壕の中に入り、そばにいた奥さんの頭を直撃し、奥さんを無言のまま息絶えさせました。もう一人の奥さんは横腹に破片をうけ、腸がとび出し、ひん死の状態でした。ショックをうけた二人のだんなは、子供を助けるために安全な場所へ移ると言い出し「幾分楽に死ねるから、おなかの破片を取り出して」という奥さんの頼みもそのままにして出て行ってしまいました。取り残された私たち親子は、夜になり砲撃が静まるのを見計らって壕を出ました。ひん死の人と死人を残して出て行くのは心が痛みました。水を求めてさまよっていたら主人の友人の亀川さんに会い、上の子をおぶってもらい、暗闇を北へと進みました。しかし、途中、亀川さんが右胸に、背中の子はおなかに、小銃の弾をうけました。子供は内出血し、おなかが膨れ「ポンポンが痛いよお母さん」と物をはき、「水が欲しい水、水」と叫びながら二人は死んでいきました。